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驚いた人がほとんどだったはずだ。テキサス・レンジャーズからフリーエージェントになっていた藤川球児投手が独立リーグ・四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスに入団することが決まった。次の進路について藤川は「国内か引退」という姿勢を見せていたが、その選択肢の中にまさか独立リーグのチームが入っていたとは大半のメディアも予想できなかったようである。
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自身の公式ブログで高知の独立リーグを選んだことについて「僕と妻の生まれ故郷の高知で、未来のスーパースターになるチャンスを持った子供達に僕が投げる姿を見てもらって今後の夢に繋げて貰いたい! 僕が投げる事で喜んでくれる人達の顔が見たい。僕を応援してきてくれた人達、育ててくれた高知から野球人生を再スタートする事に決めました。高知ファイティングドッグスでプレーすることになりました」(原文のまま)と、その理由を述べた。
同ブログで藤川はシカゴ・カブス時代の2年前に右ひじのじん帯再建手術(トミー・ジョン手術)を受けたことで心境の変化があったことにも触れている。
「リハビリ中に沢山の事を考える時間が出来ました。今まで当然の様にボールを毎日投げられていたのに投げられない。たった5m投げられる様になって喜んでました。その距離が少しずつ伸びるにつれて僕の考え方も変わっていきました。元気になったらとにかく投げる喜びを1番に感じられる場所で腕を振りたい。必要とされる場所で投げたい。そして家族と一緒に居たい」(原文のまま)
これは紛れもない本心だろう。しかし、それを実行することはなかなか容易ではない。かつて栄光を築き上げてきた人物があえて“陽の当たらない場所”へ進む決断をするというのは相当な覚悟と勇気が必要になるからである。一体、何が藤川をそうさせたのだろうか――。その決断を下した背景には、彼がメジャーでぶち当たった屈辱的な挫折があることが重要なポイントとなるだろう。
●夢舞台はイバラの道だった
藤川は阪神タイガースで「火の玉ストレート」と呼ばれる直球を主体にセットアッパー、クローザーとして一時代を築き、2012年オフに海外FA権を行使して長年思い描いていた憧れのメジャーリーグへの挑戦を実現させた。ところが「向こうで(現役の)最後までやるつもりでやってくる」と力強く宣言したはずの夢舞台はイバラの道であった。
2012年12月に2年総額年俸950万ドル+出来高の好待遇でシカゴ・カブスに入団。カブスのセットアッパーとして期待を一身に背負い、2013年シーズン開幕戦(同年4月1日、ピッツバーグ・パイレーツ戦)で9回二死からマウンドに立って初登板初セーブをマークしたものの、同年5月下旬に右前腕部の張りを訴えて故障者リスト(DL)に入り、その後右ひじにメスを入れることを球団側と話し合って決めた。次の年の2014年8月に長期間のリハビリを経てメジャー再昇格を果たしたが、存在感は示せずじまい。同年オフにFAとなってチームを退団した。
その後、テキサス・レンジャーズとメジャー契約を結んで貴重なブルペン要員としての活躍を期待されながら、キャンプで右足の付け根を痛めて開幕からDL入り。5月14日にレンジャーズで初登板を果たしたものの打ち込まれ、結果的に今季は中継ぎで2試合を投げて防御率16.20と惨(さん)たんたる成績だった。これにより藤川は「DFA」と呼ばれる通達を球団側から受け、メジャー40人枠を外れたことで自ら退団の道を選んだ。
「藤川はレンジャーズのフロントからマイナーからの再調整を勧められてそれがイヤで自由契約にしてもらったのだから、完全な戦力外通告を受けての解雇というわけではない。レンジャーズのフロントは開幕当初の方針を変えてチームの若返りを目指そうとし始めたことも、藤川にとっては運が悪かった」と指摘する関係者もいるようだが、これはかなりポジティブな見方だ。
メジャーの球団はいかなる理由があるにせよ、本当に必要な選手に対してはマイナー降格の指示などまず出さない。そう考えれば、藤川は球団から「肩叩き」をされたととらえるのが妥当だろう。酷な言い方かもしれないが、それがひいき目で見ない現実的な見解だ。
●自分の商品価値を分かっていた
実際に藤川はレンジャーズを退団すると、地元紙『ダラス・モーニングニュース』に「結局レンジャーズで(2試合に登板して)アウトを5つ取っただけだった。球団史上、最も高価な5つのアウトを記録した投手かもしれない」と高年俸を皮肉られて“ダメ投手”のらく印を押された。つまり一言で評すれば、彼のメジャー挑戦は失敗したのである。
だが、藤川は自分の商品価値を分かっていた。レンジャーズ退団後は古巣の阪神から億単位と見られる年俸でのオファーを受けていたものの、結局条件面で折り合わず交渉はまとまらなかった。阪神側が右ひじの状態を考慮して先発での起用を視野に入れていたことにも藤川サイドが難色を示したようだが、それだけではないはずだ。
全く結果を残せずメジャーをお払い箱になった身でありながら、もしも高額年俸を提示された阪神に戻れば「あれだけタンカを切って海を渡ったくせに、結局古巣に逃げ帰ってきたのか」「なんで、メジャーで通用しなかった男があんな高いカネをもらえるのか」などと猛烈なバッシングを浴びせられるのは目に見えている。すでにネット上では阪神が藤川にラブコールを送った時点で、多くのユーザーからこうした厳しい指摘が飛び交っていた。当然、これら日本国内における冷淡な反応については藤川サイドも把握していたはずだ。
それならば独立リーグという“底辺”から這(は)い上がるほうが古巣・阪神に拾ってもらうよりも、イメージ的にははるかにいい。さらにそこで自分の右ひじは何の問題もなく、実戦で十分に投げられるということを世間に証明すれば、来年にもNPB(日本野球機構)の球団からオファーが届く可能性だって見込めないわけではない。自分のがんばり次第では一発逆転の流れも狙えるわけだ。
●藤川は日本に帰って男を上げた
確かに所属選手の平均月給が10万円と言われる独立リーグ・四国アイランドリーグplusでのプレーは、これまで高額年俸を手にし続けてきた藤川にとってそれこそタダ働き同然の環境となるだろう。それでも現状で商品価値がないまま古巣・阪神の温情に甘えてプレーするという“美しくない選択”を取って目先の高いカネを得るよりも、ゼロからのスタートで「お金じゃない」という姿勢を打ち出し、故郷にも錦を飾るほうが万人受けは絶対にいいに決まっている。「藤川球児」というブランドも低下しない。仮にこのまま四国アイランドリーグplusで引退することになったとしても同じだ。将来的な第二の人生の身の振り方についてのことも考えれば、メジャーで屈辱的な挫折を味わって自らの経歴にキズをつけてしまった藤川にとって独立リーグ入りは確かに得策であり、起死回生の挽回ができる奥の手であった。
メジャー移籍は残念ながら失敗に終わってしまったが、藤川は日本に帰って男を上げた。メジャーを諦(あきら)め、日本プロ野球界に戻りながら高額年俸に見合わない体たらくが続くソフトバンクの松坂大輔投手やオリックスの中島裕之内野手にツメの垢(あか)でも煎じて飲ませたい気持ちである。自分の置かれた立場や商品価値を冷静に見極められる藤川の分析力については、ビジネスパーソンも参考にできる点がきっとたくさんあるだろう。(臼北信行)