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「ハゲタカ」作者が斬る安倍政権


 真山仁という小説家が気になり続けていた。元新聞記者。経済小説「ハゲタカ」、原発事故と政治リーダーの姿を描いた「コラプティオ」と、徹底した取材に基づくリアルな筆致に震えた。
 2時間近くに渡ったインタビューでは、「聞きたいのはこういうことだろ」とでも言うかのように、私の問いを察し、よどみなく語り続けた。
 その目に現在進行形の政治はどう映り、どう切り結ぶのか。気鋭のベストセラー作家が語る「時代の正体」とは―。(神奈川新聞・田崎基)


 昨年12月の衆院選を受けてのインタビュー後、ツイッターにつづったつぶやきが暗示的で、印象に残っていた。

 〈かなり過激な発言ですが、『神奈川新聞』で選挙結果について受けたインタビューの記事が出ています。過激ですが、これは私の来年の立ち位置であり、座して小説だけを書いている時代は終わったと思っています〉
 自民党の議席はほぼ変わらず、与野党の構図もそのままという結果を「安倍首相はあす成功したい人。その安倍政権のモラトリアム(猶予期間)のための選挙にすぎなかった。この国は絶望のまっただ中にある」と評した真山さんだが、それから半年、安全保障関連法案をめぐる国会審議をどう語るのか。

 理想のリーダー像とはほど遠い短絡、浅薄さへの危機感は濃くなっているようだ。眉間にしわを寄せ、手で顔を覆っては言葉を探し、思索をめぐらす。

 「そんな非常識なことはやらないだろうと国民がぼうぜんとしている間に安保法制の成立を押し切ろうとしている。やったもん勝ちという危険な状態だ」

 海外での戦争に道を開くという戦後の大転換がこのままなされれば、歯止めなど、どこに存在しているというのか。小さくない一歩は踏み出され、「後戻りできなくなるかもしれない」とこぼした。

 審議されているのは、現行10法の改正案をひとくくりにした平和安全法制と新法である国際平和支援法案。言葉の世界に生きる者はその意図を感じ取る。

 「名称に平和安全、国際平和といった戦争の実態とはほど遠い言葉をちりばめ、やろうとしている事の本質から意図的に遠ざかろうとしている。そもそも集団的自衛権の行使を容認した憲法解釈からしてあいまいだ」

 では、何をごまかそうというのか。「作ろうとしているのはどうとでも読めて、どうとでも使える抽象的法律。だが、状況に応じて七色に変わる法律なんてあり得ない」

 だからなのだろう、安倍首相の答弁は抽象的な表現の繰り返しとなり、「何が言いたいのかさっぱり分からなくなっている」。集団的自衛権の行使例としてホルムズ海峡での機雷掃海を挙げながら、「典型例ではなく(例外的に認められる可能性がある)『海外派兵』の例だ」と説明してみたり、行使の事例を「政策的な中身をさらすことになる」という理由で語らなかったり、といった具合だ。

 そして4日の衆院憲法審査会。参考人として出席した憲法学者3人全員が「違憲」と断じたときの政治家の態度に至っては新たな疑念が湧いた。

 「『違憲』と言われて多くが驚いていた。自分たちが発している言葉の意味をどれだけ分かっているのだろう。ほとんど理解していないのではないか」

 言葉があいまいになるのはごまかす意図からではなく、単に理解が足りていないという立法府の荒涼-。

 新聞記者から転じ、企業買収をめぐる経済小説「ハゲタカ」でデビューして10年がたった。「志は二つ。社会に一石を投じるということ、そして『発言しない』だった」

 口から発する言葉ではなく、活字の力で異国へ飛び、時空を超える。フィクションであるがゆえに想像力をかき立て、遠くの世界も身近に感じさせることができる。それが真山さんにとっての小説だ。

 目下のテーマはアベノミクスのその後。「『祭りは必ず終わる』ようにアベノミクスもやがて終わる。後に残るのは焼け野原。国債を日銀が買いまくっているが、国の借金は1千兆円以上に膨れ上がっている。それをどう返すのかという話は誰もしようとしない」

 ならば小説に語らせようと月刊誌「新潮45」で連載しているのが、近未来の日本を舞台にした「オペレーションZ」。梶野首相の「カジノミクス」によって経済は破綻寸前に陥るが、後を受けた旧大蔵省出身の首相が財政に大なたを振るうストーリー。「現状を批判するのは簡単だが、何も生み出さない。未来を提示することで、いま考えなければならない問いが浮き彫りになる」

 そこに込めたメッセージがある。「安倍首相にこのままこの国を任せてよいのか」。切迫感が自ら定めた禁を破らせた。「『本を読めば分かる』と言ったところで僕の本を手にする人には限りがある」

 発言を始めた。14日、ツイッターでつぶやいた。

 〈今回の安保法制、ずっと記事を読んでいるんですが、一体、この不可解な日本語を本当に理解している政治家が何人いるのかと思ってしまいます。おそらく総理も政府も、最後は数の力で強行採決で押し切れば良いんでしょと高をくくっているのでしょうね。国民もなめられたもんです〉

 国会審議が始まって3週間余。閣僚の表面的な言葉や態度を取り上げ、本質に迫らないマスコミの姿勢にも不満がある。

 「ある人は安保法制を『戦争をするための法律』と言い、ある人は『戦争に巻き込まれないための法律』と正反対の説明する。集団的自衛権という言葉が問題を分かりにくくしている。憲法が何を定め、なぜ違憲とされるのかという本質的議論もない」

 安全保障政策を超え、この国のありようを変えようとしているにもかかわらず、時間が浪費される空虚さはどうだ。

 「憲法が禁じてきた集団的自衛権を使えるようにするということは『今日からサッカーは手を使っていい』と言っているようなもの。根本的なルールを解釈を変えることで180度違うものにしようとしている」

 求められるのは本質を見据える洞察と想像力。

 「集団的自衛権の行使とそれを実現する安保法制とは、僕の知り合いが、僕が会ったこともない人と行ったこともない所でけんかをしていて、僕がそこへ出向いて一緒にけんかするという話。問題を大きくするし、やらなくていいことだ」。そして「知り合い」とは世界中でけんかしている米国のことだ。「つまり米兵がこれ以上死なないための法律。そのことを防衛省も内閣法制局もよく分かっている」

 問題は「米国の戦争に巻き込まれるようなことは絶対にあり得ない」と断言した安倍首相がその欺瞞をどれだけ自覚しているかに戻る。「日本の政治家の中で最も『日本は戦争に巻き込まれない』と信じているのではないか。その意味で極めて問題は深刻だ」

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引用:「ハゲタカ」作者が斬る安倍政権



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引用:「ハゲタカ」作者が斬る安倍政権



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